と言った人がいるけど
kururu は
ずっと『病気』になりたかった
障害とか病気とかいろいろあるのに
成人するまで何の診断もつかなかった
子供の頃から体調不良続きで
不器用で
絵も字も下手で
運動は苦手
お勉強も覚えられない
『お友達』との対等な関係が築けない
(それを『友達』と呼ぶのかも不明だけど)
TVで『障害者』という概念を知り
また
同級生の心臓の悪い子
足が悪くて走れない子
どこか内臓の病気で 休み時間に保健室へ行く子
そーいう『特別な子』へ向けられる
周囲からの配慮あるまなざしを感じ
小さい kururu は『病気』に憧れていた
『車椅子』に乗りたかった
大きくなって(でも未成年の頃)
自閉症特有の熱い正義感に目覚めた頃には
「病気や障害のある人たちは
kururu とは比べ物にならないくらい大変なのだろう」
と思い
「そーいう人を助ける仕事がしたい」
なんて考えた
我が事ながら
あまりのけなげさに泣けてくる
小さい kururu ちゃんを
『いいこいいこ(なでなで)』 してあげたい
ラベル:自閉症
私も 息子を育てながら それに多分きっと大切な宝物として守りながら・・・・
そういうこと考えたりしました。
とっても ひどい言い方に聞こえると思うけど
足が不自由だったり 見た目にだれにでもわかる不自由だったら もっと社会は優しくしてくれるんじゃないか・・・って。自分の不自由さがわからないくらい 自分の世界で生きている障害であったら
つらいとわからなくて いいかもなーーーーなんて。
不謹慎かもしれないけど そう 思う・・・。
一目で分かる障害や
植物状態
あと、言葉を持たない人にも
憧れていました
『不謹慎』という負い目を常に持ちながら
確かに時折「聖也っちょは自分に障害があると解らない分、ラッキーなのかも」なんて思ったことがあります。
そして時には、自分の思いや、体調不良を訴えることができる知的障害を伴わないタイプの自閉症をラッキーと思ったり。。。
やっぱり不謹慎で、ごめんなさいなのでしょうけど。。。
今は、それぞれの障害を持つ人の数だけ、大変さや苦悩があって、それぞれに合った支援が必要なんだと思っています。
だから、国や市区町村がしっかりとその支援の種類を把握して、偏りのない仕組みを築いてほしいですよねぇ。
小さな・愛らしいkururuさんを、うんと褒めて“いいこいいこ”してあげたいな〜 泣きたいほどそう思います。
確かに
『苦しい』し『辛い』こともあって
今 振り返って
他人事(?)として突き放した言い方をするなら
『かわいそう』とも感じるんだけど
何もかもひっくるめて一言で表すなら
ただただ『しんどい』って感じだったなー
子供の頃は
自分に何らかの権利があるなんて知らなくて
だから悩みらしい悩みもなかった
ある意味 幸せでした
その後、
諸々の知恵と知識がついてからの方が
「思うようにならない」とか
「自分ばかりがなぜ?」とかと感じて
辛く苦しい思いをしました
診断がついた今は
医学も行政も 数多ある書物も
家族も(家出中だけど)
そしてこうして気に掛けてくれる人たちも
みんなが kururu に力をくれる
しあわせだな〜 って思う
それもこれも
kururu が言葉を持ってるからなんだよな〜 って
感謝です♪