2007年08月28日

『かわいそう』って

kururu は
普段あんまり使わない言葉なんだけど
『かわいそう』って
どんな時に思う?

kururu の場合
小さい子が泣いてるのに
大人に放っとかれているときとか
小さい子が
明らかに理不尽な理由で大人におこられているときとか
子猫が捨てられてるときとか
人為的な理由で
ペットや園芸植物が命を絶たれたときとか

『小さきもの』『弱きもの』『力を持たないもの』に対する
庇護と慈しみの心を土台とした感情のような気がするの
主体性を持って生きる存在に対して使うのは
ふさわしくない
雄大な自然に対しても 違う気がする
なので
主体的に生きている大人に対して
『かわいそう』と思ったことは無いし
自然界の動植物に対しても
『かわいそう』とは言わない
大人に対して『かわいそう』と思うのは
それは その人のことを
『他人に寄りかかって主体性の無い生き方をしている』
と思っているときなのだろう

自分自身に対して
『かわいそう』と思わない kururu は
自分のことを そんなに見くびっていないらしいね


ラベル:考える葦
posted by kururu at 15:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛してるとか 好きだとか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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