他の子供と同様の絵を描けと要求するような
耳が聞こえない子に
他の子供と同様に歌えと要求するような
「空は青でしょ」
「青いクレヨンで塗ればいいのよ 簡単よ」
「そうじゃないでしょ」
「そこはお空じゃないでしょ」
「何回言ったら分かるの」
「お空は何色で塗るの? そう、青でしょ」
「青いクレヨンはそれじゃないでしょ」
「よく見ないから間違えるのよ」
褒められたいから 一所懸命考える
青いクレヨン、確かこの辺の・・・
あ、おこられた
また間違えちゃったみたい
よく見てって言われたら顔を手の方へ向けるんだよね
そーしないとおこられる
言われた通り ちゃんとお顔を向けてるのに
青いクレヨン、よくわからない
お空って、よくわからない
自閉症でも同じこと
「○○したら、お友達が悲しいでしょ」
「こういう時は、ちゃんと言わなきゃ」
「おかあさん、いつも言ってるでしょ」
「そうか こーいうときはこーするのか」
なんて思ってやってみるのに 上手く行かない
大人になっても
上手く行かなかったことについて
「周囲の反応からして、どーやら自分がミスったらしい」
とは想像できるんだけど
「じゃあ、あのときどうすればよかったのか」
は、皆目見当がつかない
周囲は思う
「思いやりがない」
「反省してない」
「誠意がない」
「どうして優しくしてくれないの?」
周りのみんなには当然のこと
自分だけがわからない
自閉ちゃんの孤独
ヒトは自分と違う人・ことを認めるって難しいんですね?きっと…?
息子も年中私に
「自分の何処は悪いのか?」と聞きます。
彼も今、職がないまま友達もないまま。
「おれの孤独が分かるか?」
と問います。
人はみな孤独。
健常であっても人の本当の部分は分からない。
同じでは?と私は思います。
息子は母より強い孤独だと言います。
そうかもしれません…
あたりまえとか、先入観が邪魔するんでしょうね。
理解してほしい側と理解したい側
気持ちはひとつなのにもどかしいです。
ちび兄ちゃんにはどうやって接したらいいのか???な日々です(´・ω・`)
こうして気にかけて 言葉をかけてくれる人がいるって思うと
孤独感が和らぎます
元気な時だったら、その事を常に忘れず 明るい気持ちでいられるのに
ちょっとダメージを受けると だめですね〜
途端に希望が見えなくなる
> ヒトは自分と違う人
> 人はみな孤独
> 理解してほしい側と理解したい側
そうなんですよね〜
元気な時なら その孤独を「それはそれ」として暮らせるのに
困ったもんです
重たい気持ちの毎日から
コメント読んで、持ち直して
けど、また 暗〜いきもちが押し寄せて来て
また励まされ
ほんと 助かってます
救われていると言った方がいいかも
ありがとう
特徴だと思うのですが、PDD圏の人は言外のコミュニケーションが
不自由なので内容を理解をするための方法として、
その『言外』を『言語化』して、『具体的』または『体系的』
(視覚優先に物事を捉える傾向があるそうなので)
に説明する必要があるのかと思います。
孤独になりがちなのは、その『言外』を感知する
アンテナやセンサーに障害があるせいかのか、
例えるならば目隠しをしてスイカ割りをしている様な
状態だと思うので、時々空振りだったり場合によっては
人に当ててしまったり、
その結果、相手に対してどうしても時折、
慇懃無礼になってしまうのではないかと。