2010年05月26日

キリスト教的解釈では

いやね、
そこの教会はプロテスタントなんだそうだけど
善悪の判断を下すのは神の領域であって
人間のする事ではないんだって
だから
例のお坊さまが言うような
「悪縁」というようなものは人間が決めてはいけなくて
「悪人」も居ないんだって
で、
「敵をも愛せ」になるらしい
ふーん

婚姻は神が執り行うものなので
不貞以外の理由では離婚は認めないんだって
で、再婚も不可
詳しく聞いてないけど、死別でも再婚不可っぽい話
それじゃーさー
自分の不貞で離婚された人は
まあ、罪を背負って行けという事なんだろうけど
死別した人や 相手方の不貞で離婚に至った人は
その後 どんな風に生きていけばいいのだろう?

こんど、また聞いてみよう

結婚を積極的に推賞していて
産めよ増やせよ、的な考えらしく
尊い職務に人生を捧げる人(聖職者等)や病人等以外の人は
神に祝福された「男女間の」婚姻をするべきだと考えているんだって
で、性同一性障害の話になったんだけど
そこの宗派としては未だ判断を決めていないそうで
けど、牧師さんの話では
どうも、「体の性」を「その人の本来の性」だと考えているようで
ちょっと違和感を覚えた

kururu としては
人間の本質は『身体』ではなく『精神』であると考えているので
例えば、
「男性の体を持って生まれて来ちゃったけど心は女性」な人は
当然『女性』であると思うのですが

身体障害者は人間として劣っていると考えるのだろうか?
うーん、このへんも もう少し話を聞いてみよう


posted by kururu at 23:28| Comment(2) | TrackBack(0) | 愛してるとか 好きだとか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
性同一性障害の方の場合kururuさんがおっしゃることわかります。
>善悪の判断を下すのは神の領域であって
人間のする事ではないんだって

というのはわかるんだけど
と、言うのはわたしたちが信じている神様はこの世に唯一の神様でこの全世界と人間を造った神様。

わたしたち人間は環境や感情に左右されて
その時々で言うことも変わっちゃったりするでしょう?で、神様は変わらないという意味だと思いますです。


結婚に関しては1対1の関係を守るという意味ではそうだし、それが理想です。でも相手の方がなくなられて再婚される方もいるし、長期で神様に逆らう配偶者の場合とかはどうなのかなー?


人はどうしても罪があるから、わたしたちがどれだけ努力したかとか何かをいっぱい持ってるかとかではなく、神様がただ一方的な恵みによってイエス様を十字架で贖ってわたしたちを救ってくれたというのがわたしのキリスト教の理解です。

聖書には人生や結婚の価値観が書いてあるの。でも2000年以上も前の本だからそのまま読むとわからないところもあるかもしれない。

機会があったら旧約聖書の創世記というところを読むとどうやってこの世が出来たかが書いてあって、新約聖書のはじめの4つの福音書というのを読むと
4人の人がイエス様の生涯について書いてます。

わたしは以前価値観がなくてふらふらしてたの。聖書の神様の言葉からイエス様の十字架を知って
毎日助けてもらって生きてます。

Posted by くりす at 2010年06月22日 23:21
> わたしたち人間は環境や感情に左右されて
> その時々で言うことも変わっちゃったりするでしょう?

そうなんですよね〜
確固とした信念の無い事柄に関してだと 尚更そう!
それって、
例のカントさんの言うところの『自由』とは
程遠い生き方だと思います
(↑カントブーム、未だ継続中☆)
特定の宗教を持つっていうのは
一見 窮屈そうで不自由そうに見えるけど
本当は、感情のブレ(不安とか)から解放されて
本当の意味で『自由』になるのかも
って思います

> わたしは以前価値観がなくてふらふらしてたの。
> 聖書の神様の言葉からイエス様の十字架を知って
> 毎日助けてもらって生きてます。

ふむふむ。。
やっぱり 生きる力になるのですね
はてさて
kururu はこれから、何を信じて生きて行こうかな
Posted by kururu at 2010年08月10日 22:11
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