2010年05月17日

カントの『自由論』

カントさん曰く
人は
感覚ではなく 理性に従って行動するときにのみ
真に自由であると言える

どういう事かっていうと、
例えば
 地面に落ちるのは
 林檎の自由意志ではなく、自然の摂理に支配されての事である
同様に
 さっきまで出かけようと思っていたのに、
 雨が降っているのに気がついたとたん、出かけたくなくなってしまう
 これは、環境や一時の感情に支配され 流されての事である
さらに
 空腹で何かを食べる、 怒りを爆発させる、 衝動的に突っ走る、
 恋に溺れる、なども同じ

つまり
人間が欲望の対象へと向かう行いは
単に対象によって引きずられているだけの奴隷のような行いであり
=他律であり =不自由である

多くの人が漠然と考える自由とカントの考える自由の間には
大きな隔たりがあるね
一般には
「自分がしたいからする」というのは
自由意志に基づく行動であると考えられているけれど
けれども、ほんとうにそうなのか
感情や気分というものは
そのときどきの情況に左右されるのではないか

人間と動物を分けるものは何か、というと
それは理性である、とカントは考えた
動物は本能に支配されて生きている
けれども人間は、理性を持つことで、本能から自由になっている
カントのいう「自由」の中味はそれなんだ
自らの内側にある理性に従って生きることこそが
人間だけに与えられた自由である、と

本能や欲望や欲求に惑わされず、理性の声に耳を傾ける
すると
自分が何をしなければならないか、ということが
おのずと明らかになってくるはず

カントによれば
理性的意思が自ら立てたルールによって自分自身を規定する事
意思の自律こそ真の自由であるというのです

カント自身の言葉
あることをなすべき(soll)であると意識するがゆえに、
そのことをなすことができる(kann)と判断するのであり、
道徳法則がないとすれば
彼にはいつまでも知られるはずのない自由(Freiheit)を
おのれのうちに認識するのである。


ラベル:考える葦
posted by kururu at 20:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛してるとか 好きだとか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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