4/16の朝日新聞 読める人は読んでみて☆
朝日新聞 2009年4月16日(木)朝刊
オピニオン欄 私の視点
『大人になる君へ 他人のせいにしない姿勢を』
中島 義道 哲学者
【抜粋(かなり はしょってます)↓】
・実は
一人の人間がなぜあるときある行為を実現するのかのメカニズムは、
まったくわからないのだ。
われわれは
行為の「あとで」その一握りの要因を「動機」として選び出し、
「それらが行為を動かした」
というお話をでっち上げているだけなのである。
・動機ばかりではない。じつは世の中で解決済みとみなされている
因果律、意志、善悪、自由、存在など、
いったいこれらの概念が何を意味するのか、
いまだに全然わかっていない。
・きみがどう生きていくかはすべてきみの手中にあるということだ。
きみが自分を「才能のない人間」と決めることは
そういう自分を選ぶことであり、
自分を「もてない男(女)」と決めることは
そういう自分を選ぶことである。
・この意味で、誰でも否応なく「自由」なのだ。
だから、すべてを誰かのせいにするのもきみの自由である。
面倒なことは考えずにいくのも、すべてを諦めて生きるのも
きみの自由である。
だが、それは、
安全で無難かもしれないが、つまらない生き方ではないだろうか。
・○○だから自分はこんなにだめ人間なのだ、ときみは言う。
だが、
とかく人間のことは皆目わからないということを
思い起こしてほしい。
その中で、きみは自分の本質をそう決定し、
それが人生を規定すると解釈したのだから、
その責任はきみにある。
自分の「だめさ」を固定してそれを親や状況のせいにしたのは
きみである。
その意味で、きみは自分を「だめ人間」として選んだのだ。
だから、きみは未来永劫にわたって「だめ人間」になるであろう。
・だが、何が一人の人間の行為やあり方を決定するかは、
じつのところまったくわからない。
だから、どんな人でもどんな瞬間でも、
「いままで」を完全に断ち切って新しいことを選べるのだ。
・きみがどんなに過酷な境遇にあろうと、
なるべくそれを他人のせいにしないで
「私(ぼく)が選んだのだ」
と自分に言い聞かせる姿勢をそなえていれば、
きみは、強く柔軟で深みのある大人になれるように思う。