2008年08月18日

自己肯定感

今でこそ
「私ってなかなか」
「自分、結構いいやつじゃん」 
「私って幸せ」
なーんて
お気楽なことを言ってる kururu ですが
そうなったのは結構最近

10歳くらいまでは自意識ってものが確立されず
10代前半で
「自分は(他人と比べて)何もできない」と気付き
教科学習など 多少 出来ることが出てきても
「努力ができない駄目なやつ」
だと思い続けてた

それまでも 大人からは駄目な評価を受けていたし
自分でもそう思い込んじゃってたんだけど
高校生になったら
同級生たちにまでそう思われて
周囲から浮いてしまったの
教科で落ちこぼれ、「努力してない」と思われ
遅刻、欠席が多く、「不真面目」だと思われ
それでも悲壮感もなく過ごしているので「ふざけてる」と思われ
真面目ないい子ちゃんばかりの学校ではしんどかったな〜

でもね
クラスに居場所がなくなった時
偶然 別の場所を見つけた
クラスや部活動で面倒な役割を押し付けられて
生徒会活動の中心に参加するようになったら
そこでは おおらかな先輩たちが自由な感じで活動していて
同級生も部活のメンバーも居ないから
お勉強やスポーツの出来ないことも関係なし
何かの上手下手を問われることもなくて
楽に息が出来る気がした

もしかしたら、そこに居た人たちは
多少 kururu と同じ悩みを持っていたのかもしれない
何はともあれ 気が楽なので
そこに入り浸るようになって
クラスでは増々浮きまくるんだけど
kururu の出来の善し悪しとは関係なく接してくれる人に出会ったのは
物心が付いてから初めての経験だったので
無条件の愛に魂が救われた感じがした
『いいじゃん♪』
と言って もやもやを吹っ切る方法を教えてくれたのも
そこで知り合った人だった

大学に進学して
高校の時と概ね同じ理由で 学科内では浮いちゃうんだけど
そんな時に
別学部に居た高校の先輩(その生徒会室で出会った人)が
何かと構ってくれたお陰で
学部外に友人が多く出来て また気持ちが救われた
結局その大学は中退したんだけど
そこに居た数年間を思った時に
苦しかった思い出と同時に
楽しかった日々を思い出せるのは
幸せなことだと思う

kururu は
『評価』と無関係な場所で友達を得て
だんだんと自己を肯定してきた
外からの『評価』が低くなりがちな子は
『評価』が付いて回る環境では 対等な人間関係を得にくいけど
対等な人間関係が得られれば
人付き合いの諸々も鍛えられる
大人になって気持ちのいい人付き合いをする力になるだろう

もちろんその後も
学校や職場で苦い思いが続いたけれど
それでも
一歩一歩 階段を上るように
自己評価を上げていったんだ

『いいじゃん』と気付くきっかけや
階段を上りはじめる時期は人それぞれ
『早い』『遅い』で評価しないで!
kururu も
高校生で気付いたとはいえ
一気に階段を上ったわけじゃない
30代に入ってからも 時々
「ひょいっ」と1段上った気がすることがあるよ

そうした『自己肯定感』があるおかげで
今、こうして
落ち着いた気持ちで生きていられるのだろう

目を開いて、耳を澄ましていれば
『無条件の愛』にどこかで出会う
今 自分を認められないでいるとしても
その『気付き』は 必ずみんなにやってくる
楽に息が出来る日がきっとくるよ
タグ:自閉症
posted by kururu at 19:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 障害とか病気とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なるほどナルホロ…
kururuさんも今の心境に至るまでは
やっぱりいろいろとあったのですね(;_:)
自己肯定感…私はいまだに持てずにおりますが
いつか楽になる、その日を信じて
なんとか息していきたいもんです。
Posted by ふちゃお at 2008年08月20日 00:09
耳を澄まして
自分の心の声を聞く
そんな 日々の小さなことが
未来へ導いてくれるんじゃないかしら
Posted by kururu at 2008年08月20日 23:46
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