2007年08月28日

やっぱ かわいそうかも

カミナリの夜
帰る人の無い家で
ひとり 半泣き状態の kururu は
ちょっと 無力で
ちょっと かわいそうかも


ラベル:考える葦
posted by kururu at 20:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛してるとか 好きだとか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

カミナリ 近いぞっっ

久々の夕立ち
かみなりこわい。。。

おちた
posted by kururu at 20:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『かわいそう』って

kururu は
普段あんまり使わない言葉なんだけど
『かわいそう』って
どんな時に思う?

kururu の場合
小さい子が泣いてるのに
大人に放っとかれているときとか
小さい子が
明らかに理不尽な理由で大人におこられているときとか
子猫が捨てられてるときとか
人為的な理由で
ペットや園芸植物が命を絶たれたときとか

『小さきもの』『弱きもの』『力を持たないもの』に対する
庇護と慈しみの心を土台とした感情のような気がするの
主体性を持って生きる存在に対して使うのは
ふさわしくない
雄大な自然に対しても 違う気がする
なので
主体的に生きている大人に対して
『かわいそう』と思ったことは無いし
自然界の動植物に対しても
『かわいそう』とは言わない
大人に対して『かわいそう』と思うのは
それは その人のことを
『他人に寄りかかって主体性の無い生き方をしている』
と思っているときなのだろう

自分自身に対して
『かわいそう』と思わない kururu は
自分のことを そんなに見くびっていないらしいね
ラベル:考える葦
posted by kururu at 15:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛してるとか 好きだとか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

かわいそう?

友人が言う
「kururu ちゃんは
 自分を『可哀想』にしない所がいいよね」

へ?
かわいそう?
まあ、たしかに
状況を見ればね
夫が家出して
別宅をしつらえ
ほかの女を囲ってる訳だもんね

でもさ
『可哀想』って言葉と
自分の存在が
kururu の頭の中で
いまいち一致しない
『悲しい』けど
『可哀想』とはちょっと違う

だって
自分がいつまでも
悲しい状況にあり続けるとは思えないんだもん
今を乗り越えれば
必ず『しあわせ』がやってくる
そのうち また
楽しく暮らせるよ

なーんて
何の根拠も無いのに
この みなぎる自信は
どこから来るんだろう?(笑)
ラベル:考える葦
posted by kururu at 11:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛してるとか 好きだとか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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